Essay


ESSAY
           
帝王切開
イングリッシュガーデン・ジャパニーズガーデン
ゆっくり大人になりたい
ぺ・ヨンジュン
就職活動の心得
1人前の喜び
かわいいおじいちゃんの作り方
日本語考
続 中国人考
中国人考。
のっけから差別発言で失礼しますが…
いつか火つけるよ!
郷愁。
日本的結婚の憂鬱
アメリカ礼賛の不思議
海外に住みやすい人々
英語で働くということ。
自然の話。

                                 
  
帝王切開2004年9月9日
朝会社にきたら、メールが入っていた。

There was finally an addition to the Barclay family this morning.
Heath is now a proud dad to a little girl (Georgia)
5lb 12oz

ついにHeath の赤ちゃん誕生!
5ポンドかー10日以上もオーバーデューしたのに小さいな〜!

あまりに産まれないから、帝王切開かな、とみんな言っていたのだが、そうじゃなかったらしい。
それで、私も帝王切開についてたまたまネットで読んでいて(暇だったんで…)驚いた。


http://www5a.biglobe.ne.jp/~withkumo/teiou-mokuji.htm

帝王切開って、日本ではこんなに偏見とか、悪い、古いイメージに苦しめられているものだったなんて…

なんで?
義母におなかを痛めてないから、楽だったわねといわれたとか、帝王切開で産んだ子のほうが愛情が薄いのかとか、そんなことに本気で悩んで苦しまねばならないようなところなのか、日本は…

ちゃんと陣痛が来て産んだ子のほうがかわいいでしょ、と言われただと!
そんな非科学的なことあるか〜!(怒)

そんな迷信がまだ残ってて、実際それに苦しめられるお母さんがほんとにいるのだ。しかもいっぱい。
それから、陣痛を赤ちゃんのために耐えて、お腹を痛めて産んだほうがえらい、という雰囲気とか(術後は帝王切開のが痛そうだってば)。

私はNZにいるからというわけではないけど、おなかをいためるということに、なんら美点を見出せない。

こっちでは、普通分娩だって、よく軽い麻酔のようなものを使用して、陣痛の痛みをやわらげて、あとは普通に産むんだって。
ちょっと痛みを和らげる以外は、同じなわけだけど、NZの人はそこで痛みを我慢することに、なんの意味も見出してないから平気で使う方法だ。すごい痛いなら、なんで我慢する必要があるのって。

そりゃできればみんな普通に安産で産みたいに決まってるけど、いろんな理由で、難しいなら仕方ないじゃん!

ほんとにそんな偏見を持ってる人がいることが信じられないけど、このホームページを見る限り、現実のことなんだな〜とちょっとショックでした。

ITのマルコム(2子とも、奥さんは帝王切開)と話していたときのこと。

マルコム「帝王切開(Caesarean)って、意味知ってる?」
私「Caesar(ローマ皇帝シーザー/カエサル)がそうやって産まれたからでしょ」
マルコム「そうだけど、昔は、“私はお母さんがいませんって意味だったんだよ”」

そういわれて、私はちょっとはっとした。
昔は、おなかを切って赤ちゃんを出す、なんてことしてお母さんが生き残れる可能性なんて、ほとんどなかったんだ。

つまり、母親が「私は帝王切開で産みました」という言葉は存在しなかったのだ。
生まれた子供が「自分は帝王切開で生まれた=自分が生まれるために母を殺してしまった」というだけで。

だから、英語の帝王切開のもともとの意味というのは、「ローマ皇帝シーザーは、お母さんのおなかを切って取り出されたので、母のいない人だ」ということだったわけです。
日本語としては、医学用語として単におなかを切って子供を出すというだけにしか、訳されなかったのだろうけど。

本来なら死ぬ確率が高かったのに、それが医学のおかげで、他の病気の死亡率が下がるように、死ななくても済むようになっただけのこと。
この方法がなければ、お母さんは死んで、こどもが“私は帝王切開で産まれました=母はいません”と言っていたかもしれない。

そうやって助かった命なのに、帝王切開で産んだ人に、なんで偏見なんて持てるのでしょうか?帝王切開で産んだ人で、卑屈になってしまう人がいるのでしょうか?

妊娠したことない私に言われたくないかもしれないけど、そう思わずにはいられません。


イングリッシュガーデン・ジャパニーズガーデン2004年8月13日
相変わらず、家を買いたい気持ちは強いので、プロパティプレスやら何やらを、熱心にチェックしてはいる。
まず、シティ近くの高級住宅地は、手がでない。いつかそのあたりに住めたらいいなとは思うけど。でも、高級といっても、日本でけっこうちゃんとした家を買える人なら、買える水準。今はNZドルが強く、為替が不利だとしても、70万ドル(5000万円くらい)あれば、いい住宅地の周辺で、かなり素敵な家が買えると思う。

私たちがねらえるのはもっと安い、30万-40万ドルのレンジ。30万ドルが日本円では2000万円相当といっても、私たちは日本円で稼いでいるわけではないから、30万ドルは、3000万円とかわらないわけですよ。

どうしてこんなに家が欲しいかというと、家賃を払うのもローンを払うのも一緒だから。そして、NZでは不動産取得税みたいのもないし、相続税もないし、いらなければ人に貸して、その家賃でローンを払い続けておけばいいし、たいして面倒もない。

しかも、日本ではおめにかかれないような、すっごい素敵な家がたくさん。
たとえ、3ベッドルームくらいの普通そうな家でも、日本の普通の家より数倍は素敵な家を見つけられる。
おそらく、まずスペースの大きさが最大の違い。
それから、本物の、洋風建築の持つ雰囲気のよさ。

 こうやって、もう1年もオープンホームを見続けて(楽しいんだこれが。普通に住んでる他人の家の中を見て回るわけだから)さらに、ものすごくたくさんあるこっちのガーデン関係の番組なんかをビデオまで取りながら見ていると、今度日本のガーデニング雑誌やインテリア雑誌なんかが、すごく貧弱にインチキくさくみえてしまう。

もともと天井の低く、和室っぽかったところの、ほんの小さい庭に、レンガをしいて“素敵な庭に生まれ変わりました”といったところで、いや、それはちょっと無理が…となっちゃうからね。

KIWIが、“イングリッシュガーデニング”なんていっている日本の庭を見たら、
“いやいやそれは違うだろー”と思うのは
NZで、枯山水のイメージと思われる白っぽい砂利と、コンクリかためて作った安っぽい灯篭もどき(しかも時々中国風?!)なんかをおいて、ジャパニーズガーデンと銘打ってる庭を、ちゃんとした日本庭園の静かな美しさを知ってる私たちが見たとき“いやーこれはいくらなんでもひどいでしょ…”と思うのとまったく同じだと思う。
(実は、一部で人気があって、“Binsai”とか“Zen”テイストの、石を多く使ったガーデンとして認識されている)

日本のイングリッシュガーデン特集をみるのは、NZにある日本庭園(とは私たちには思えない水準の)特集を見るのと、まったくおなじなんだろう。

とりあえず、ウッドデッキを作りました、とかとりあえずレンガをひいてみました、西洋風で素敵でしょ
=とりあえず石の灯篭おいてみました、日本風でしょ
って感じで。
伝統と技術に根ざしていないものは、どんなに真似しようとしても、安っぽくなってしまう。

やはりここではNZ風の庭園を、日本では美しい日本庭園とこたつの生活を楽しむのが一番だ。


ゆっくり大人になりたい2004年8月5日
先週の分を埋め合わすべく、今日もお昼で退社した。
今日の午後はロレインとおしゃべり。
ほんとは彼女のうちまで行ってもよかったけど、ちょっと用事があったとかで、結局うちのほうに来てもらった。

彼女としゃべってていつも思うのは、結局英語だろうと日本語だろうと、合う人とは合うし、合わない人とか合わないという基本的なこと。

同じ日本人でも、まったくタイプの違う人 (例えば“世界の中心で愛を叫ぶ”で号泣できる人とか、多分) とは、一緒にいたって話すことなんてないかもしれないけど、たとえ相手が外人でも、気があえばなんの関係もないなー

ロレインもそろそろ本気で子供が欲しいらしく、いつか二人とも子供ができたら、半分ずつ面倒見合って楽しよう、とかロレインの子供を日本語ぺらぺにしよう、とか、産休1年取ったとき、一緒に旅行しよう、とか二人でよくそんなことを話す。

いつのことになるかねー

家を買って、子供作って、そんな、当たり前だけど、今まで本気では考えてはいなかったことが、けっこう目前にせまってて(つーか、うちら二人とも遅いくらいだ)、こうやって大人になっていくのねー(だから遅いって)。

多分、こっち社会では、人は日本よりもっとゆっくり大人になれるのだ。たしかにガキンチョはませてるかもしれないけど、こっちでは何歳で大学にいっても平気だし、みんな30、40歳くらいまで、平気で3年働いて1年ヨーロッパ旅行、お金なくなったらまた働いて半年ぶらぶら、なんてしてる。
老後の不安がないからなせる技かもしれないけど。

私が行ってた大学のコースでも、20代30代40代50代の人がほとんど満遍なくいた。
日本では、学生のうちはいくら馬鹿やってても平気な子供扱いなのに、大学を終わった瞬間、一度社会に出た瞬間から社会的にカンペキな大人であることを常に要求され、仕事しないでふらふらしてようものなら、哀れみの目でみられかねない。
仕事もない、結婚もしてないなんて、人間としてちゃんとしてない、と思われる。
そしてそう思われることを怖いと感じる。
だから、仕事をやめるのも、結婚しないでいるのも、長く旅行にいくのも、ワーホリに行くのにさえ勇気がいる、なんてことになっちゃう。
したいことをすればいいだけなのに。

ここでは、人は旅行に行きたければ行くし、お金がいるなら働くし、仕事がいやなら辞める。したくなければ結婚しないし、それでもなんとも思われない。
そのせいか、未婚の40歳以上にも、とっても魅力的な人がたくさんいる。売れ残りってわけじゃないから。

そのへんが、日本は好きなのに、私が日本社会となじまない最大の理由だなあ。いつでも好きなことしてたいからね。
なんで日本では、そういう風に生きられないのかなあ。


ぺ・ヨンジュン2004年6月23日
という韓国俳優が人気らしい(こんな書き方するのはわしだけ?)

日本から会社で取り寄せている新聞や雑誌にやたら特集されているから、嫌でも目に入る。週間朝日の表紙に、5週も連続でやたらと“ヨンさま○×”と踊っている。
1.2週ならともかく、5週になるとうんざりだ。そうまでしないと買ってもらえないのか、週間朝日。

だいたいなんで“ペ様”といわん。“ぺ”じゃ林家ペーみたいでかっこ悪いからか。

ヨンといえば、結婚前にだんな様のフラットにすんでいた、炊飯器1つちゃんと洗えず、洗面台の下をいつもびしょびしょにしていただらしない韓国人ヨン、元気かなあ…

またしてもこんな敵を作る書き方するのには訳があって、つまり、NZで韓国人ストーカー男に付きまとわれた経験のある私は、韓国人俳優のファンにはなれないけど、これだけ日本の普通のおばさんたちが、素直に韓国人俳優のファンになれるのは、やっぱり私が思っていたとおり、ふつーの日本人は、韓国人にもともとそれほど偏見なんて持ってなかったっていえるんじゃないの?

と思ったわけ。

韓国人に対して偏見がある、という意見はずいぶん昔から、歴史的なことも含めてあったと思う。
でも、私はNZに来るまで、韓国人にも中国人にもまったく何の偏見もなかった。だって直接の知り合いなんていなかったんだから、それほど強く、好きにも嫌いにもなれないでしょう。

私はこっちに来て、まずなんとしても日本人の女の子を彼女にしようと追いかけ回す多くの韓国人を語学学校で最初に見て、そういうイメージを持ってしまったから、韓国俳優のファンにはなれない。

でも、これだけ日本でふつーの人たちが、白人の“ベッカム様”と同レベルで韓国俳優のおっかけをできるところを見ると、これこそ「ふつーの日本人は韓国人にそれほど悪いイメージなんか持ってなかった証拠じゃん」
と思うんですよ。
持ってたら、こんな風にはファンにはなれない。
“日本人は韓国人に偏見がある”と主張してる人にいいたいんですけどね。

ただ、唯一心配なのは、韓国人男性全般がペ・ヨンジュンみたいかもしれない、という幻想を持った日本人の女の子がワーホリでこっちに来ると、“日本の子のほうが、まだ比較的貞操観念の固い韓国人の女の子より簡単にさせてくれる”という理由で日本人を追いかけまわす、質の悪い韓国人(全員こうじゃないのもあたりまえだけど、こういう人が多いのも事実)の餌食になりやすいんじゃないかなあ…ということだけです。

韓国人にまで、イエローキャブみたく言われないでね。

いくらハリウッド映画を見ても、1人のアメリカ人の友達もいなければ、実はアメリカ人についてほとんど何も知らないのと同じで、実際の韓国人の知り合いなしには、結局は本当の姿は何もわかっていないってことをお忘れなく。
(フォローじゃないけど、韓国人の女の子には、東京ではめずらしい素朴なかわいさの、友達になりたいタイプの子が結構いる。天真爛漫系っていうか。派手な子は、昔の工藤静香系の不健康化粧だけど。男は×。ごめん。ストーカーにこりごり。韓国では情熱的ですまされるのかも)


就職活動の心得  
最近入ってきた新しいフラットメイトの1人は、大学3年と4年の間に1年休学してワーホリに来ている。
即ち、帰ったらすぐ4年になるので、就職活動となる。
これは、ある意味、とっても賢い選択だと思う。日本の多くの大手企業が、「新卒」にこだわり続ける以上、大学卒業してからこちらに1年来てしまうと後で就職できずに困ったことになるけど、彼女の場合、日本に戻って新卒枠で就職活動できるわけだから。

どんな会社がいいか、何をしたらいいかもわからないけど、彼女は学校のアドバイザーから、まずそれをはっきりと決めろとせまられるので、いつも困っていたと言う。
確かに大学の4年の段階で、何をしたいかはっきり言える人はすごいとは思う。でも、まだ何も社会を知らない以上(バイトなんかと全然違う)、そう思って入りたかったところに入れても、実は現実と自分の持っていたイメージと現実は違うかもしれないじゃない?

どこかの会社で3年くらい働いてみて、社会で働くということを知り、他の職についた友達とも話したりするうち、ほんとにやりたいことが、現実性をもって見つかることも多いと思う。

だから、「生きたい場所で生きていきたい」という理想を持つ私としては、彼女がまだまったくやりたい事がわからないというなら、3、4年後の自分の価値が高まるような会社をおすすめしたい。

そうでないと、数年後、もしも転職したい、とか1年ワーホリに行きたい、なんて思っても不可能になってしまう。
例えば、新卒で、まあまあ給料もいい会社の事務なんかになって、数年たってしまったら「もしこの会社辞めたら、絶対にこれ以上の給料で私を雇ってくれるとこなんかない」ということになり、転職も退職もままならないことになる(寿になればいいんだろうけど)。まったく身動きが取れなくなるのだ。

どうせ同じように働くなら、まず社会人の始めのころは、何でも勉強と思って第一線でばりばり働こう。そこで何年か頑張った後、その時学んだこと、経験、資格が絶対自分を助けてくれる。
簡単な仕事に移ることも辞めることもいつでもできるけど、年をとってから、何の経験もないのに「頑張りますから採用してください!」といっても、どこも相手にはしてくれないだろう。

私が会社を辞めたときも、「私が会社を辞めても、3年間みっちりやってきた金融業界の経験と資格があるから、ぜったいどこかには就職できる」と思えたから、辞められたというのはある。
そうでなければ、今もらっている何百万かの収入が0になるというのは、社会人にとって恐ろしいものだ。

自分の価値の高まる仕事につくこと。
「特にこれといった経験のない30歳」になってしまったら、生き方の選択肢はとても狭まる。

その後の生き方を自由に選ぶためにも、卒業して就職してからの数年は、突っ走ろう。
そしてそれから自分の生き方を決められる自由を手にしよう。


1人前の喜び  2004年2月13日
最近英語社会で一人前に扱ってくれることに快感を感じる。

これって、子供が大人になっていく過程と全く同じで、自分たちだけで喫茶店なんかに入れるようになったときや、お店の店員が”ものを買ってくれる人”と認識して、いらっしゃいませ、というようになってくれた高校生の頃に、「あー私ってば大人扱いされてるわっ」と思ってうれしく思ったのと全く同じ。

 こっちに来たての日本人は子供と一緒。言葉もままならず、初めて自分でバスに乗るのもおそるおそる。仕事は、マックのバイトにすら雇ってもらえない(しゃべれなければ当然)。
 日本では、ちゃんと会社に勤めてて、けっこうなお給料もらい税金も払って、「ちゃんとした大人」だったというのに。

 今ちゃんとしたKiwiの会社に入れて、ちゃんとした給料もらって、会議とか出ちゃって、ちゃんとそれなりにいいカッコしてランチなんか食べに出ると、こうやって何年かかけて、私は英語社会でもやっとここの「大人」と同等になって、日本で持っていた私のIdentity以上のものを手に入れたぞっ(英語はまだまだ改善の余地ありだが…)ということに満足を感じる。

 それと同時に、やっぱり移民社会だからか、そうでなくても、NZは社会的に子供レベルだった私にもとっても親切だったんだな、と改めて思う。

 満足でない英語で銀行口座を作りにいったり、前の仕事で営業にいったりしていたときも、Kiwiはほとんど親切だったし、少なくとも邪険に扱われたことはない…

 もしも、日本で、かなり日本語のあやしいガイジン(白人に限らず)が、自分の働いているレストランなり銀行なりに来たとき、普通に親切に、あたりまえのサービスを提供しているだろうか、ふつーの日本人は…。

よく英語の勉強のために、自分でお店にいって店員と話してみたり、銀行口座を作ってみよう!といってる滞在ガイドブックなんかみかける。
 確かにその通り、頑張って自分でやれ!と思う。
その反面こうも思う。
 日本に滞在中の例えばポーランド人とかトルコ人とかイラン人(要するに英語圏でもないガイジン)のガイドブックに、「たとえ自分の日本語に自信がなくても、練習と思って、自分で日本の銀行に口座開設してみよう!」とか書いてあって、日本語のかなりたどたどしいガイジンが大挙して銀行に押し寄せてきたら、日本人は親切に対応してくれるだろうか、と。

 英語は世界共通で通じるから、英語が母国語の人は、英語が流暢でない人とたいてい話した経験があるとはいえ。日本では、どれほどの人が、日本語のたどたどしい人と、会話したことがあるだろうか。
こういうとき、日本はやっぱり国際社会じゃないな、と思う。


かわいいおじいちゃんの作り方  12月12日
やったーー
ついに予算の作成終了…この一週間さすがに忙しくて、仕事以外でパソコン画面を見るのはほぼ不可能だった。

無事に資料を持たせてMDを日本に送り出す。
ほんとにこの一週間は忙しかった…

 日本で働いていた時のもっともハードだったときに比べると、それでもまだ余裕があるけれど。あの頃は、あまりに忙しくて、他人に気を配る余裕すらないときがあったし…
それ故に、私が尊敬する人、好きな人の定義はこうだった。
暇なとき、元気なときなら、たいていの人はいい人だ。
だから、たとえどんなに忙しくても、いつも同じように人に接することのできる人がステキ。
自分のことでいっぱいになると、こっちの質問を無視したり、すごく嫌々そうに指示する上司なんかもいたから。

ここでは、その原則は通用しない。
そこまで忙しい時はないから、あんなに人がいらいらしたり、オフィスの空気が重くなったり、プレッシャーでぴりぴりしたりすることはないから。

 そう考えると、こっちのおじいちゃん、おばあちゃんに、いつもにこにこしてて、ほんとにかわいい人が多いのもわかる。そうやって、ずっと幸せな、上機嫌な人生を生きてきてる中で、ほんとうにそういうかわいい、親切な性格に出来上がっていくんだと思う。

 たとえ自分の中に、そういう嫌な性格の芽があったとしても、それに一生気づかずに生きていける。
 
 日本ではなかなかそうはいられない。
ムカつく上司の前で、ほんとに嫌なかわいくない性格になっていく自分に、くだらないことに文句ばっかりいってる嫌な自分に直面させられる。
 それでも、昇進とか考えなくてよかった分、卑屈にだけはならないですんだけれど。

 そうやっていらいらするストレスフルな人生を生きてくる日本のおじいちゃんに、かわいいおじいちゃんがほとんどいないのも無理のないことなのだろう。

自分が疲れていない時に、席を譲るのは簡単だ。
自分がたくさん持ってるときに、わけてあげるのは簡単だ。
人は幸せだと、ずっと簡単に人に親切になれる。
人に親切にできると、自分で自分が好きになれる。

だからこの国では、ずっと簡単に、幸せになれる。


日本語考  11月21日
昨日ロレインとしていた日本語の長文読解の続きなんだけど、彼女と話していると、違う側面から日本語を見ることになるので、とてもおもしろい。

ロレインの質問@
「なかなか」って何?

例えば「なかなか着かない」「なかなか始まらない」。
ガイジンに説明すると思って、ちょっと自分で答えを考えてみてください。
















私の回答
この場合、なかなか、というのは、some kinds of expectations(ある種の憶測)があって、それに対して事実がどうなのかを述べるものだと私は結論した。

 例えば、「なかなか着かない」は、予測していた到着時間があるけど、それになっても着かない。「なかなか始まらない」も同じ。
 また、「なかなかいいね」も、それに対して何か既に想像していて、その思っていたものよりも、結果が「いい」ということなのだろう。


ロレインの質問 A
それじゃ、「なかなか」と「結構」の違いは?

「なかなかいい」or「けっこういい」…

Thinking time 30秒………………….













私の回答
事実に対して、事前の憶測があったのは同じだけど、おそらく「結構」のほうが憶測の内容が悪い。
例えば、「このお店、なかなかいいね」は思っていたよりいい、という程度だけど「このお店、結構いいね」は、もっとろくでもないのを期待してたけど、意外と思っていたよりはるかに結果はよかったということ。
きちんと即答できた人、すごい。

ロレインの質問 B

「立派」ってなに?


なんだろう…
これはいまだ悩んでいます。
日本語ですら説明が難しい。
立派な人、を英語で説明しようとしても、ただのgood じゃたりないでしょう。「立派な建物」…Nice building?違うなー「立派になったねえ」「それは立派な行為だ」「彼は立派にやった」…
 ちょっと「えらい」に通じるものもあるかと思ったんだけど、(「えらくなった」「ちゃんとやってえらい」等)えらい自体が英語にできないからなあ…。前に説明しようとしてすごい苦労した。

立派ってなんだ?
日本語でもいいので説明してくれー。


続 中国人考  11月12日
ネットで中国人のこと悪く書きすぎだーとままりんにおこられちった。確かに日本にいる、日本語読める中国人の人が見たら怒るかな?ごめんなさい。

 でもわかって欲しいのは、私は別に人種差別ってわけじゃなくて、具体的に迷惑をこうむった時にだけ、私が怒ってるってことさ。なんども言ってるけど、中国人の友達もいるし、中国人にだっていい人はいる。

 でも、建物の中につばはくし、前に書いたとおり、渋滞の中、道を譲ってあげてもこっちをちらりとも見ない。
 プールに行けば、更衣室でお店広げて占領して、銭湯とか大浴場とかの習慣のないこの国で、全裸で石鹸でからだごしごし洗ってるし、桟橋から釣りをしてれば人の目の前に平気でさおを通してくる。
 学校ではやたらカンニングさせろとかのノートうつさせろとせまってくる。  ダンスでも、仲のいい中国人の人はいるけど、全体的には中国人はぶつかってきてもほとんど謝らない。Kiwiはちょっとぶつかったり、こっちがむしろぶつかってしまったときでも、”I’m sorry” ”Excuse me”とすぐ謝ってくるので、お互い気持ちよく謝りあえるが、やはり中国人はぶつかってもこっちを見向きもせずいってしまう。

 わたしが思うに、これは差別とかそういうんじゃなくて、「コギャルむかつく」とか「電車でオヤジに突き飛ばされた」とかと同義語なのだ。全てのコギャルとオヤジが悪い人ではない、なんて注釈つけるまでもないのと同じで。

 まあ足をガッと踏まれたとき「あのオヤジムカつく」ならいいけど、「あの中国人ムカつく!」というと人種差別に聞こえちゃうのかもしれないから、気をつけたほうがいいのかもしれないが。

 でも、日本にいて人種差別っていうと、概念の問題だと思うけど、ここだと単に痴漢に腹を立てるのと同じで、毎日の生活の問題なんだよね。

 これだけいろんな人種のいるオークランドで、これだけ中国人ばかりが悪い場面で目に付くというのはどうなんでしょう。ここにいる中国人には、「人に迷惑をかけないのが美徳」という概念が薄い気がする。
 いつも回りに気遣うよう教育されてる日本人は、郷に入ったら郷に従え、で比較的NZの常識と非常識を取り入れようと無意識にでも、してると思うんだけど(もちろんそうじゃない見るに耐えない日本人をみかけることもあるが)。

日本語の流暢な中国人の方に、聞いてみたいところです。


中国人考。  9月26日
昨日の日記で、不愉快になった人がいたらごめんなさいね。「中国人の友達いるけどとってもいい人だよ」という人もいるでしょう。だから追記。

当然私も中国人の知り合いいます。オークランドの大学にもいっぱいいたし(やたらノートコピーさせろとか、テストでカンニングさせろとかいうので途中で新しい中国人の友達を作るのはやめたが…)、ずっと続けてるダンスの先生の一人も中国人だし、ダンスのときにすごいかわいい中国人のおばあちゃんがいて、彼女は大好き。

個人でいい人がいるなんて当たり前なので、(日本人にもいい人悪い人もいるのと同じで)、私に中国人の友達がいるのと、これはまったく別の話なのだ。

そうやって結構たくさんの中国人を見てきたけど、今では彼らが親切、というのは自分が仲間、と認めた人に対してだけな気がしている。

他人からは、昨日述べたようななりふりかまわない力でもぎ取れるだけもぎ取り、それを自分の家族や仲間のなかでは少々や過ぎなんじゃ…と思うくらい、おごろうとしたり、与えようとしたりする。

だから、中国人はすごく親しくなったら奇妙なくらい物を与えてきたりするけど、他人である間は、当然の気配りさえしない。彼らはそれに気づいてもいないんだろうけど…。
だから同属とみなしたものの中では、自分がもっていればいろいろ与えてくる代わりに、こっちが自分よりいいものを持っていると見れば(授業のノートとか)平気で要求してくるのだろう。

私は苦労して取った授業のノートを平気でコピーさせてなんて(当然英語での授業だから相当苦労したのだよ。しかも中国人は出席率もものすごい低い!)、そういうのをずうずうしいと感じるし、他のものを変に与えられても戸惑ってしまうし、そういう馴れ合いが気持ちよくない。

他人には不親切、仲間内ではべったり…。
それがこの4年間で私がオークランドにいる中国人に感じていること(また本土の中国にいるひとは知りませんが)。 ちなみに、ここに来るまでは、中国人の知り合いはゼロだったから、なんの偏見もなかったんだけどなあ…。ちゃんとキッチンを使った後に掃除したりしないから、フラットメイトとしても家のオーナーに嫌われがちなんだよね… 私中国史大好きなんだけど(日本の大学では史学科)、偉大な歴史を持つ中国人は、どこで間違ってしまったんだろうなあと思う。(ワイルドスワン読みました?)
のっけから差別発言で失礼しますが…  9月25日
どうして中国人ドライバーってこうなの!
このストレスの少ないオークランドで、唯一イライラする時といったら、朝晩の渋滞。渋滞といっても日本のとは比べ物にはならないけど、それでも普段なら25分でいっちゃうところを1時間かかるとなればそれなりにいらいらすることもある。

 こっちの人はみんな5時にはきっちり仕事を終えてかえるから、5.00〜6.00の一時間だけがとっても込む。だから合流なんかもとっても多いんだけど、これだけ4年間、毎日車で走っていて、前に入れてあげたとき、中国人から感謝されたことが一度もない!

 日本人も込んでいる道で入れてあげたとき、ちょっと頭を下げたり指で挨拶してくれるひとは結構いると思う。ニュージーランド人はわざわざ窓からすごく盛大に手を振ってくれたり、にっこり笑ってくれたり、敬礼してみてくれたり、譲ったこっちがちょっと楽しくなるくらいThank youの気持ちを表してくれる人がけっこういる。そうすると、道を譲るのも楽しくなるというものだ。

最近オークランドにあふれかえっている中国人は、横から入ろうとしてきて、ちょっとスペースを空けてあげたとしてもこっちをちらりともしないし、ほんのちょっとの感謝すらしめさない。

 日本の混んだ道を走りなれている人にはわかってもらえると思うけど、とにかく混んででイライラしてるときにそれをされるとその後のドライブ自体が不愉快になる!
 だから、最近会社の帰りには、中国人ドライバーが割り込もうとしててもあえて自主的に道を譲るのはやめた。


オークランドでは中国人は..ルールを守らないので有名だ。


たとえば、海岸で簡単に魚介類の取れるニュージーランドなので、月に一度くらい海岸でムール貝やCocleというこっちの貝をバケツいっぱい拾ってきて食べる。環境に厳しいニュージーランドなので、これは一人50個までもって帰っていい、と決まっている(3人でいけば150個ひろっていい)。ムール貝3人で150個といったら、それだけで充分近所におすそわけできる量だと思うんだけど、中国人はこのルールをまったく守らない。家族で来て、取れるだけとっていくのだ。

干潮の時間には、環境保護官が頻繁にチェックに回っていて、悪質な場合には罰金をとるんだけど、保護官は中国人がいたら、まず彼等からチェックにいく。ほとんど違反してるから。

 きっといつも人がひしめき合っている中国では、何についても自分の取り分をキープすることに必死で、他人に感謝したり、環境に配慮したりする精神的余裕なんてないんだろうなあ…。

 感じとしては、始発の駅から行列して、隣の人をつきとばしてでも席を奪い合うときの気分、みんながあからさまにぎらぎら自分のことだけ考えていて、人に譲ろう、とか、思いやり、とか、控えめ、とかいう言葉がマッタク意味をなさなくなる瞬間。

中国人を見てるといつもそうやって生きてるように感じる…。


いつか火つけるよ!  8月6日
過激なタイトルで失礼…イミグレーション オフィス(移民局)のはなしである。

 ついこの間、永住権が取れて2年たち、その半分以上をNZで過ごしたから私の永住権は2年のテンポラリーなものからほんとに永久のものとなる。その最後の手続きにイミグレーションにいった。

今まで何度となくイミグレにいき、行くたびに怒りくるって帰ってくるということの繰り返しだった。役所というのはあまねくそうなのかもしれないけど、日本の市役所もびっくりな対応のひどさには「いつか火つけたる!」とみんなが捨て台詞をいって去っていくのも無理はない。

はっきりいって人間性が磨耗しているとしか思えない。どこにいってもみな親切なニュージーランドだけに、そのひどさが際立つ。押し寄せるろくに英語も喋れない移民の群れの前に、通常の人間性なんかとっくの昔に枯渇してしまっているんだろうと思う(日本の移民のオフィサーなんてもっとひどいとガイジンの間では有名なのでいちがいにせめられんが)。

今回の私の場合は単に紙切れ一枚だして、100ドル支払い、最後の最後のほんとの永住権をパスポートに貼ってもらうというだけのもの。それでここまで腹の立つ対応なんてなかなかできるもんじゃない。
偶然そこでワークビザの更新に来た友達にあったのだが、彼女の場合、先週手続きしてもらうための番号をえるために朝5.30から並んだら(この真冬に!)、朝9時になって、もう今日配る予定の番号は終了しましたと追い返され、次の日また朝4.30からならんでやっと番号を もらい、それでその番号が呼ばれたのが午後3.00.。ところがそれでまだ書類が足りないといわれ(イミグレの常套手段。ビザを出したくないときはわけわからない書類を突如要求する)再度イミグレに来たところだったという…。しょうがない、イミグレに放火しても許そう!

ほんとに2年前永住権取り終わっててよかった…。
とくに中国人インド人の移民が大量に押し寄せてきて、申請自体が非常に難しくなってきている。移民法もかわって彼らも大変なのはわかるけど、それと対応が家畜を扱うようなのとは話は別だ(ただ番号ふって、いくら待たせようが、追い返そうが、電話が2日間1時間おきにかけ続けてもつながらなかろうが、まったく気にもしない)。
せめて質問に答えるCall Centreの人と、窓口の人数(あの行列に2人しかいない)だけでも増やすべきだろう、仕事が足りなくて失業者が多いと発表しているニュージーランド政府よ…。


郷愁。  8月1日
8月…いいなあ、日本はあついんだろうなあ…

私は暑いのが大好きだから、NZの高原のような涼しい夏はものたりない。もう3年も日本の夏をすごしてない…これがNZにいて、私がもっとも日本が懐かしい理由だ。蒸し暑いのも、花火も、夜でも薄着できることも(こっちは夏でも夜は冷える)、入道雲も、日本にいた間は絶対泳ぎたくなかった江ノ島のよごれた海でさえまあまあ懐かしい…。

ところで、もうすぐこちらの営業成績のよかったディーラーの日本への研修も兼ねた慰安旅行がある。私はその手配全般をしているのだが、途中で日光観光が組み込まれているのでHPなど調べていた。そこに日光の中禅寺湖の写真があって、見た瞬間だけなんだけど、なんだか不覚にも涙がちょちょぎれそうになった。ほんとに小さい写真なんだけど(ちなみに日光は子供のときから毎年いっていたのだ)日本の自然の美しさを代表するような、くすんだ、美しい色だった。

日本の色は湿気のせいか、こっちに比べるとなにもかもくすんでいて、日本にいた間は美しいと気づかなかったようなものもいっぱいあった。
そういうくすんだ、でもやさしい青とか緑は海外ではめずらしい気がする。外国人が日本がきれいだ、きれいだといっても「外国のほうがきれいじゃん」と思っていたし。
確かに圧倒的な、絶対的な美しさがNZにはある。抜けるような青い空や、鏡のような湖、氷河、火山。でも、逆に日本の自然のような全部がとろんととけているようなぼんやりした美しさはないから、それが外国人には美しく見えるんだろうと思う。


日本的結婚の憂鬱  7月29日
 ところで、私は日本にいたら、今はまだ、結婚したくなかったかもと思う。
まず奥さんとか呼ばれるのが気に食わない。
結婚すると、まるでそれがその人の第一の特徴のように言われるのも気に入らない。
私という30年近く生きてきた人間がいて、今までこんな勉強して、こんな仕事してきて、こんなことができて、こんなことが趣味で、とか、結婚する前はそうやって一人の人間としてみてくれるのに、結婚したとたんそのすべてが「〜さんの奥さん」の後ろに追いやられてしまうのが気に入らない。
仕事してなかったらなおさらだ。私の認識では、私という人間がいて、ごく最近その特徴のひとつに「結婚した」というのがつくだけなんだけど、日本ではそうはみてくれないからなあ…。


 それをすごく感じたのは、たまたまこっちに旅行できていた5.60歳くらいの夫婦がいて、通りすがりだったんだけど2.3言話したとき。今までだったら、そういう時、どのくらいこちらに住んでるんですか、どうやって来られたんですかとか、何されてるんですか、とか必ず聞かれたの。ところが今回、結婚してると知ったとたん、旦那には聞いても、私には一切そういうことは聞かない。

「奥さん=仕事もなく、だんなにくっついて海外に来て、だんなのおかげでビザもとれて、ただ家にいる」

そう思われたのが明白で(「奥さんも海外に住めていいわねえ」、みたいに言われた)、いい人そうな日本人の夫婦だったのに、すごく憂鬱にさせられた…。私は結婚前と何も変わらず仕事をしているし、自力でこの国に来て、自力で学校をでて、自力で永住権をとったのに、つまんないよね、そんなの。

だからといって、ある年齢までいくと、今度は結婚できないって思われる。

 この国では、そういうの関係なく、一緒にいたい人と、結婚するだけ。結婚したとたん、「奥さん」という別の生き物になることはない。あるいは結婚しなくても、同棲だけでもその法的権利(相続とか含めて)はまったく結婚とかわらない。だから、したい人は結婚するし、したくない人はパートナーとして同棲する。それだけ。なんで日本ではそういう風に簡単にいかないんだろう。

 そんなわけで、こっちで結婚できた私は幸せ。


アメリカ礼賛の不思議。  7月28日
よく思うことだが、日本人はどうして世界の中心はあんなにもアメリカだとおもっているんだろう。

この国に来て、アメリカが世界の中心、と思っているのはアメリカと日本だけなんでは…と思うようになった。多分これを読んでる日本にいる人は、肌では感じられないと思うけど。

 「そんなことないわよ、ヨーロッパだってアジアだって旅行も行ったしちゃんと知ってるわ」

そうおっしゃる人もおおいと思う。でも違うのだ。それでも多くの日本人の頭の中にはちょっとずつ、テレビとか学校とかで長年刷り込まれてきたアメリカ至上主義が本人も知らないうちに脳みそを支配してるのだ。そしてたちが悪いのは、そうしてるテレビとか教師とかでそうした風潮を作る人々自体も、自分がそうとは思っていないから、無意識にやってるってこと。だれも確信犯ではないのだ。
例えば日本人はアメリカ英語とかイギリス英語とかいう言葉は知っている。
「知ってるわよ、発音とか単語とかも微妙にちがうんでしょ」

その通りなのだが日本人と認識の方法は違う。ヨーロッパの多くの国にとっては、当然近くにあるイギリスが英語をしゃべる代表の国だ。オーストラリアもNZももとはイギリスの植民地だから当然イギリスより。インドもだ。そしてそれぞれがみんななまっている。インド人はかなり流暢に英語を話すけど、かなり強いインドなまりの英語だ。そしてアメリカ人は同じくアメリカ訛り。アメリカ国内だけでの訛りだ。
 アメリカ英語とは、多くのEnglish speakerにとって、ただそれだけのこと。アメリカはヨーロッパ文明から最後の最後に生まれた国のひとつで、経済力はあるけど、へー日本ってわざわざアメリカ訛りで英語教えるんだ。なんで?たまたま先生がアメリカ人だったの?そういわれるくらいのものなのだ。

 私たち日本人は「知らないけど、そう学校でならったから…」と思うだけ。だれも確信犯じゃないのに(教師すら)みんなすっかりアメリカ英語が世界の中心と信じさせられている。今、受験のときの、会話表現問題集なんて見ると笑ってしまうのも多い。なんでアメリカでしか通用しないような表現を、暗記させて受験で出すんだろうねって。例えばアメリカでは大学二年のことをソフォモアっていうけど、アメリカ以外では通用しない。

音楽でも同じくアメリカのヒットチャートが世界の洋楽の中心と思われてる気がする。NZでもオーストラリアでも、ヨーロッパでも、流れているのはイギリスとヨーロッパのチャート。だからといってイギリスが中心だ、という気も毛頭ないけど。

日本でアメリカのことをアンケートしたら、大好きって言うわけでもないけど、普通くらいには好きだし、少なくとも嫌いじゃないっていう人が半数にはなるだろうと思う。
NZでアンケートしたら、多分半数は、どちらかというならば、アメリカは嫌い、にまるすると思う。この国はアメリカのいいなりにならずに、何十年もアメリカに経済的いやがらせをうけてまでちゃんとポリシーをつらぬいた国だ。更に、フランス人のアメリカ嫌いは有名だし、イギリス人もそうでしょう。

なんだ、アメリカ人って日本人以外にはけっこうきらわれもの?(個人ベースではなく、コンセンサスの話だよ。)もうちょっと日本のこと大事にしたほうがいいんじゃないの。唯一の味方なんだから。経済力が衰えたら、日本と同じく世界からはぶられてお終いじゃないの?
そう考えたら、もうちょっとアメリカの言いなりになったりしないですむんじゃないでしょーか小泉さん。アメリカに嫌われたって、別に世界全体から嫌われたったわけじゃないんだから。



海外に住みやすい人々  6月12日
今住んでるフラットは5部屋あるが、ここ1週間で2人新しい面子が入っている。というか、私はすでに3年近く住んでいるし、奇妙なマレーシア人のP氏も同じくらい住んでいる。大黒シェフのS君もかれこれ2年近くになるのでその3部屋には動きがないので、入れ替わるのは残る2部屋だけなのだが。隣の部屋に入った彼は、日本で5年、大工をやっていたそうだ。眉毛が森田豪のような24歳である。フラットの面白いところは、こういう日本では友達になれないような人たちと友達になれること。やっぱり会社づとめだったから、合コンとか行って(年に1.2回だったが…)知り合うのもサラリーマンや会社員ばかりだったけど、今までこのフラットで一緒に住んだ人達の職業はシェフ、車のメカニック、芸能(?)等さまざまでほんとに面白い。

   ニュージーランドではこうした職人系が圧倒的な強さを発揮する。なぜなら大工も美容師もシェフも車のメカニックも、技術が勝負で言葉がいらないからである。
反対に、日本では安定した収入のあるセールスマン、銀行員、総務の人なんかは、ちゃんとしゃべれなければ、現地のマックのアルバイトにすら採用されず、日本食レストランのウェイトレスやキッチンハンド、お土産屋さんの店員がいいとこだ。

だから、日本では比較的ちゃんとした大学をでてないと入れないようなところで働いていた人ほど、会社員の可能性が高いので、この国にながく住めない可能性が高い。仕事が見つけられないから。「大学なんていってないし英語の勉強なんか今までほとんどしたことないっすー」とかいってる今まで一緒にすんでたシェフも、メカニックも、こっちに残れる仕事をけっこう簡単に見つけて、最初はしゃべれなくても収入を得ながら長く住めるので、最終的にはすっかりこっちになじむことができた。

日本で知的職業についていた人達ほど、その技、会計の知識とか営業の技術とかを活かすのに言葉が重要なので、海外生活望むなら、数倍勉強する必要がありますよ(そして皮肉なことに、そういう人ほど海外志向が強かったりするのだー)。海外志向ゼロの大工の親方とか築地の寿司職人なんかなら、来た瞬間から仕事があるのに。


英語で働くということ。
どちらかというと日本では強気な私である。あの保守的な日本の企業でしっかり有給を要求したり、駄目な上司にはそれなりの対応(ははは)したり。

それは、自分がそれなりの仕事をやっていて、人に文句は言わせない、という姿勢の裏返しでもあったと思う。けれど、そうなると、ここではいつも、一種のコンプレックス、英語がみんなよりできない(みんなNativeだからあたり前なんだけどさ)という思いがあるので、非常に謙虚になれるというわけなのだ。

こっちの言っていることをすんなり理解して聞いてくれれば、例え向こうが納期に遅れていようともThank youの10回くらいすぐ言ってもいい気分になっちゃう。ちょっとのことでこうも謙虚な気分だと、何にでもすぐ感謝しちゃうし、簡単に幸せな気分になれちゃうので昔、中高の宗教の時間で習ったような(カトリック系の学校だったんです)

いつも喜んでいなさい
たえず祈りなさい
どんなことにも感謝しなさい

が、自然できちゃってるなー…と感じる今日この頃なのでした。
だから英語の時と日本語の時と絶対私の性格ちがうと思う。ほんとに。


自然の話。  2003年4月29日
新聞を読んでいると、よくブラックバスがいかに日本の河川の生態系を変えた悪者かという話が載っている。私は釣りキチではないので詳しくないが、そういうのを読んでいると、人間と自然のかかわり方の難しさというか、もうわけがわからなくなる。
 バスの放流をするとか禁止するとか何十センチ以下の魚は取ってはいけないとか、干潟の話もばかげてるし…

今ある自然を最大限に残す。そのために、その川にいない魚の新たな放流はしない、今いる魚が減りすぎないように、捕っていい量、サイズをきめる、川を汚さないようにする。

これだけじゃだめなんだろうか… 日本人は普段はほんとにルールを守る国民だと思う。ルールを決めるときちんと順番の掃除当番も守ってくれるし、赤信号は、1台も車がいなくても止まるもんね(これは日本だけだ!)。
 それなのに、どうして自然に関してのルールだけは守れないんだろう。ごみもそう、釣ってはいけないサイズの魚を平気で持って帰るのもそう。最近若い人のなかにはそういう意識の高い人もいるとはいうが。

ニュージーランドの人はそういうのを守る。山に登ってもごみは必ず持って帰る。自然を守るために、魚のサイズも守る。違反に対する罰金もかなり高く設定している。最近よく罰金を払っているのは中国人だという話だ。彼らはまったくルールを守らないので、検査官がたまたま来ると、特に中国人は念入りにチェックされる。たいてい決められた数を違反して捕りすぎてるから。
 アジア人というのは自然を破壊しやすい性質があるのだろうか。あるいは、西洋文明は、すでに一度自然を破壊した経験と反省から、いまやそういう性質になったのか…それなら日本人もそろそろそうなってもいいくらい、充分日本の自然を破壊したと思うんだけどな…。反省の材料にするに充分な量は。

 私は別にエコロジストでもナチュラリストでもないけど、海にも川にも山にも行くし、行ったときは綺麗なほうが気持ちいいにきまってる。そこにいる人がだれもごみを捨てず、あるものに手を出さなければ、きれいなままでいられるのにと思う。
 ニュージーランドの人はそれができる。日本にいるとそんな子供の習う道徳のようなことが守られていないことに、いらいらさせられる。


 
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